ケイフードサービスの「日替り弁当」

 

 

ケイフードサービスの「日替り弁当」を、宅配してもらうようになってから、
お昼の時間が来るのが、毎日とても楽しみになった。

そんな宅配弁当も、なかなか無いんじゃないかと思う。

多くの説明なんて、いらない。
とにかく美味しい。
その味は、うるさ型の多い町内のお祭りの先輩方も、絶賛したほどだ。

メニューも本当に工夫されている。
また同じかぁだなんて思ったことは、一度もない。
むしろこのお弁当を通して、初めて知った味が多い。
「今日のおかずは、なんだろな?」 それも楽しみのひとつだ。


おかげで、外でランチを食べる回数が、めっきり少なくなってしまった。


 
 
   

ボン・ボヤージュの「御油猫のしっぽ」



  


御油の住宅街にある、
そのお店、「ボン・ボヤージュ」が開いていると、
それだけで嬉しくなる。

必ず買って帰るのが、
この「御油猫のしっぽ」だ。
なんとも、かわいらしい。


口にすると、それは不思議な食感だ。
甘くて、甘すぎず、
やわらかくて、やわらかすぎず、
絶妙なバランスの上に、成り立っているのだと思う。

ひとつだけでは物足りない。いつも、私はふたつだ。


聞き逃さなかった。
会計のときレジを打ってくれた女性は、確かに、
「ネコさん、ふたつ」と言った。


  
  
  
    

井筒屋珈琲店の「井筒屋ブレンド」

  
  
   


牛久保にあるお店の存在は古くから知っていたが、
なかなかどうして、時に行くようになったのは最近のことである。

珈琲のみのメニューから、
その時の気分に応じて、私は「井筒屋ブレンド」をお願いする。
「一番」であることが多い。
豊かな“香り”と“こく”とある。

豆を挽き、ドリップしてくれる、店主の手際と香りを楽しみながら、
目の前に出された一杯を口にする。
私自身、豊かなこくのある男になった気がする。


店主の「こだわり」に溢れている。
 
珈琲はもちろんのこと、
2匹の犬を模ったロゴマーク。ログハウス風の建物。音楽。写真。
その「こだわり」に共感出来たときが、最も幸せなひと時かもしれない。

店内禁煙である。煙草を吹く方はご注意を。念のため。
  
   
   
    

MEGURIYA cafeの「ランチ」

  
  
   


国道42号線を、菜の花畑とロングビーチを越えて、往く。

そのランチを、端的に語るなら、
「丁寧で、美しくて、おいしい」 そして 「楽しい!!!」
  
感じるのは、素材と料理へのこだわりだ。
しかし店主は、「こだわっているつもりはない」と言う。
ヘルシーとおいしいが結びついた、夫妻の求める理想の食事の形が、そこにある。
  
  
大根や人参って、こんなにも甘かったんだと驚く。
その驚きを多く味わいたくて、自然とよく噛んで、ゆっくり食べる。
食べていて、楽しくなってくる。
  
これは何の味だろうと思うとき、添えられている紙を見る。
料理の過程が一つひとつ書かれている。
私はひとり納得をする。
  
幸せな心持ちに、なる。


ランチメニューは2週間ほどで入れ替わる。
数に限りがあるため、予約をしてからの方が間違いないと思う。ご注意を。


   
  
    

ブラウンシュガーカフェの「オムライス」

  
  
   
  
  
「オムライス」が好きで、
社会人になったばかりの頃は、岡崎にまでよく食べに行っていた。
行かなくなったのは、この店を知ったからだろう。
  
さまざまな種類のソースと、乗せるたまごのタイプを選択できる。楽しい。
あえて一つを取り上げるなら、人気の「ブラウンソース」と迷いながら、
私は「エビぷりチリクリームソース」を選ぶ。たまごは決まって「ふわとろ」だ。
 
意外なほどまろやかなソースと、野菜を加えたガーリックチキンライス、そしてたまごの絡み具合いは、絶妙だ。
そこに時折、ぷりっとエビの食感が加わる。
スプーンを止めるタイミングに迷う。
  
コーヒーの豆の香りと、流れてくる音楽も、置いてあるものも、店主のトークも心地よい。
  
  
   
   
     

常盤堂の「いちご大福」

  

   


世の中には幾多のいちご大福があるが、
常盤堂の「いちご大福」は絶品だと思う。

見た目から、美しい。
口にすると、
丸ごと入っている瑞々しいとちおとめの甘酸っぱさと、
白あんの控えめな甘さが、
ハーモニーを奏で始める。
 
それは、至福の瞬間だ。
 
何度もその感覚を味わいたくて、
ついつい、二つ三つと手に取ってしまう。
  
手作りだからこそ、材料を吟味し、その質にこだわり続けることが出来る。
いちごの旬な季節だけの販売となる。
  

   
   
    

シスコの「マルゲリータ」

  
  
   


まだ「ピザ」という食べ物が一般的でなかった頃、
初めてそれを食べたのは、当時 牛久保にあったシスコだった。

先駆的であり、でも気取らないところは、今も変わらない。
元気な店主がいつも出迎えてくれる。
 
私はこの店の「マルゲリータ」が好きだ。
とろけたチーズとプチトマトの若干の酸味を楽しみながら、あつあつのピザを頬ばる。
飲み物は、決まって水だけだ。
  
やはりピザは焼きたてだと思う。
所々でサクッと心地よい音がする。
気づいたら、食べ終えてしまっている。
 
これだけのものが、この値段なのは、
イタリアから輸入した小麦粉とイースト菌をベースに、
自らの店で生地から作っていることに、他ならない。
  
眼下に流れる豊川を眺めながら、見知らぬイタリアをふと想う。


   
  
    

カネモ木材

  
  
   


「カネモさんなら、間違いありませんから」

話の流れで、新邸をどうしてこの会社で建てたのかをお聞きしたときに、
返ってきた答えは、とてもインパクトがあった。
  
カネモさんとは、豊川にある『カネモ木材』のこと。
不動産からアパート・マンションの賃貸管理、建築請負を営む。
創業は大正15(1926)年、梅田茂一郎による。材木商で財を成した。
社名は大工道具の「カネ差し」と創業者の名に由来する。
 
不動産部の担当者から聞く話は、意外なほど商売に貪欲でない。
身の丈に合った規模でよいと考えている。だから、広告にも頼らない。
「知る人ぞしる」、まさにそんな会社である。
  
それであっても、こうしてお客さまから選ばれる。口コミで広がっていく。
インパクトのある話は、しかもこれだけにとどまらない。

私もこういう信頼される仕事をしていきたいと、思ったのである。


   
  
    

吉丸の「田原ポークまん」

  
  
   


家で温めて食べたり、コンビニで買う肉まんしか知らなかった私にとって、
初めて神戸で、そして上海で出会った豚まんは、衝撃的だった。
その違いは「皮」にある。もちもちしていて噛みごたえがあるのだ。
  
それと同じような豚まんを、最近豊橋で食べられるようになった。
吉丸である。
  
「皮」の違いは、使う小麦粉と発酵の度合いによるものだ。
一つひとつ、餡(あん:中に入れる具のこと)の位置に気を付け、包んでいく。ひだを整え薄板を添える。
木のせいろに入れている時間も、長くてはいけない。短くてもいけない。
それは、こだわりの塊である。

いろいろな餡があるが、私は「田原ポークまん」が好きだ。
肉とキャベツから成るシンプルな造りは、とてもヘルシーだ。
わずかに感じる生姜が心地よい。

お腹が空いた時に、ふと頭に浮かんで食べたくなる。
そんなクセになる豚まんである。
『タイガー印』に相応しい。
  

   
  
    

麺の匠和みの「つけめん」

    

   


つけ麺の醍醐味は、麺をつけだれに漬けて食べるときの絡み具合だと思う。
和みの「つけめん」は、その極太麺と鰹ダシの効いた濃口のつけだれとのバランスが絶妙である。

麺とともに、器には、シナチク・海苔・チャーシューといった具が乗せられる。
チャーシューは、厚く大きい。
それらの具が温かい状態で出てくるのも、つけだれが冷めないようにという店主のこだわりだ。

食べ方はそれぞれだろうが、
私はそれらの具を、最初にあえて全部、つけだれの中に入れてしまうのが好きだ。
いろいろな味が混ざり合ったその感覚がたまらない。

そして私は、お店のある蒲郡の海の景色を、思い浮かべるのだ。


   
  
    

焼肉天下の「和牛カルビ」

   

   


肉の美味しさを決める要素は何だろう。

肉そのものの質が重要なのは、言うまでもない。
赤身はほど良く熟成したものを。それは、お金を出せば購入できる。

大切なのは「切り方」だ。切り方によって、味が変わる。
肉の柔らかいところは厚く、硬いところはやや薄く、店主が自ら見て一枚一枚を手で切っていく。
ものによって切り方を変える。
それだけは、経験を重ねないとできない。機械ではできない。
 
焼肉天下の「和牛カルビ」はとにかく厚く、柔らかい。
揉みダレにも付けダレにも、ニンニクを使っていない。和牛本来の味を活かすためだ。
噛んだ瞬間に、肉汁が溢れ出す。
この味を何とか言葉にしようとして、結局表現しきれないことに気づく。
言えるのは、ついつい笑顔になってしまうということだけだ。


まさに『タイガー印』に相応しい。


   
  
  

立志塾

   


塾の先生に必要なものは、「授業力」だと思う。言葉のとおり、授業を行う力だ。
教科の面白さを、先生の持つ圧倒的な知識とプレゼンスキル・今までの人生の経験を背景に、伝える。
生徒たちを引きつける。彼らの知的好奇心が刺激される。
  
とはいえ「授業力」だけでは、不充分だ。もう一つ必要なものは「指導力」である。
実際に生徒たちに勉強をやらせる力だと考えてほしい。
子どもたちが毎日自ら考え取り組む「自学ノート」、定期テスト前の「教室開放」、暗記コンクールである「塚コン」など、
立志塾の生徒たちは本当によく勉強する。
そしてその姿を、先生は実によく見ている。
テストの成績を分析しアドヴァイスをおくる。「自学ノート」は毎回先生たちが確認し、自らコメントを入れる。
頑張れない訳がない。やらざるを得ない。
  
塾の先生の力は、結果に表れる。例えば先日の豊川南部中の1学期後期テスト結果。
中1:1位・2位⇒立志生 中2:1位・2位⇒立志生 中3:1位・1位(同点のため)⇒立志生
3学年の1位が、4人(!)存在する。立志塾というのは、そういう塾である。


まさに『タイガー印』に相応しい。


   
  
    

『タイガー印』とは

 
良いものが必ずしも売れるとは限らない。
要因に、その素晴らしさを周りが「知らない」ことが挙げられる。

そこで私は、わたしの責任において、
これからもずっとあり続けてほしい良品を取り上げ、
『タイガー印』 として紹介していくことにした。

皆さまが知り、手にするきっかけのひとつになることを、願う。